相次いだ金融機関の破綻

政府は、平成3年(1991年)3月を昭和61年末から始まった景気のピークとしており、以後本格的にバブル崩壊の後遺症ともいえる現象が、日本経済に打撃を与えることとなります。その象徴的な出来事が、平成9年11月に相次いだ都市銀行の北海道拓殖銀行と、大手証券会社の一角を占めていた山一證券の破綻です。

バブル崩壊に伴う株価や地価の下落は、金融機関の不良債権を増大させ、金融機関の自己資本比率の低下に繋がりました。その結果「貸し渋り」や貸付金の「回収」に金融機関が走り、中小企業の資金繰りが悪化しました。また、銀行が支えきれなくなったゼネコン、流通の大手が破綻することとなりました。

低迷する景気が続いた結果、企業のリストラが全産業的に行われるようになり、最近の失業率は戦後最悪の5%台に達するようになりました。これらは中高年のリストラによる失業が大きなウエイトを占めますが、企業は新規の採用も手控えるようになりました。

このことだけが原因とはいえませんが、高校、大学の新卒者に、定職に就かずフリーターと呼ばれるアルバイトで生活に必要な分だけを稼いで、気楽に暮らす生活スタイルをとる若者が増えました。

起業の雇用をめぐるリストラは、家計の収入にも影響を与え、家計支出の縮小にも繋がり、消費財関連の企業は軒並み前年割れを重ねるようになりました。増えない、あるいは減少する所得を支出の減少で補おうと、支出の削減に向かったのです。所得の減少は、財政再建が懸念される国や自治体の公務員にまで及んでいます。

モノが売れない環境で小売業は、安売り、バーゲンで消費者に訴えました。それとの因果関係は分かりませんが、現実の問題としてデフレという平時としては戦後初の物価の下落減少が起り、不況をさらに根深いものにしました。