冷戦の終結と日米構造協議

ベルリンの壁が崩壊し、株価が天井をつけた翌年の平成2年に、日米構造協議が開催されました。冷戦時の世界は、アメリカとソ連という二大大国の政治的パワーバランスの下で、それぞれの陣営の中で経済活動を営むことができる世界でした。しかし、冷戦の終結によって、世界は「歴史の終わり」がもてはやされ、従来のような枠組みの中での競争ではなく、全てが競争に参加するプレーヤーとしての役割を課されることになりました。

ヨーロッパでは、域内経済圏の確立を強固にする為の動きが活発になり、通貨統合を合意したマーストリスト条約が平成4年に締結されました。北米でも6年には北米自由貿易協定(NAFTA)が締結、7年にはGATTに代わり世界貿易機関(WTO)が新たに発足しました。

日米構造協議は、こうした環境の下で、対アメリカとの関係で経済構造問題を中心に協議したものです。協議の結果、規制緩和政策が進められ、貿易収支の改善の為の内需拡大策として、今後10年間に430兆円の公共投資を行うという基本計画が立案されました。以後、この公共投資により財政収支は大幅に悪化しました。