常設店舗への移行と「月賦百貨店」へのあゆみ

明治も後期になると、出張陳列販売を行う「椀屋さん」の行商も次第に組織的になりました。親方(荷主)-大番頭-売子といった役割分担ができ、これらの組が色々な場所で移動販売をするようになります。

取り扱う商品も従来の漆器から洋服、衣類、家具、楽器などに広がり、活動範囲も西日本から関東へ、大正時代の中頃以降は、ほぼ全国をその商圏とするようになりました。「掛売り」には「10回掛け」のものも登場します。

このように順調な成長を続けていた初期の月賦販売を突然襲ったのは、大正12年9月に起こった関東大震災でした。関東に進出していた業者は、陳列する商品をはじめ、得意先も手形も一時に失ってしまうことになったのです。

この震災の打撃を機に、出張陳列販売を行っていた業者たちは、古い移動販売の方式を捨てて、震災前には一部でしかみられなかった常設の店舗を持つようになり、その店を中心にした商圏を確立するようになります。これが「月賦百貨店」の発祥です。この「月賦百貨店」は、以後、わが国のクレジットの発展に重要な役割を果たすことになります。