「展示会販売」の始まり

時代は明治に入り、世の中は大きく変わります。このような時期、「月賦販売の租」といわれる田坂善四郎氏が登場します。愛媛県桜井村の出身である彼は、椀舟で行商を行っていた父の六男として生まれました。父親に進言して、一時に一人しか相手にできなかった販売を改め、「講売」と呼ばれる10人単位の講の構成員全員に品物を先に渡し、毎月掛け金を集金するという「月掛け売り」を広めます。「月賦販売」の始まりです。

一方、交通機関、輸送手段も大きく発達しました。舟を中心に行われていた椀舟商法も転換期を迎え、椀船商人たちは、海岸地域だけでなく、近隣の地方都市でも商売を始めます。彼等が始めたのは「出張陳列販売」という、現在の「展示会販売」の一種です。

「出張陳列販売」は、田坂善四郎氏の「丸善」をはじめとして、西日本を中心に活発に活動するようになります。ここでは先の「月掛け売り」が利用されました。世の中に「月賦販売」が徐々に浸透し始めます。

また、「展示会」を行うにあたり、近隣を調査し、「支払いができそうだと」見込みがつく家にチラシを配ったほか、商品の引渡しは、必ず販売員がその家に出向いて行いました。現在の「信用調査」の原型ともいえることも行われていたわけです。

 

【出張陳列販売】

販売する商品を1カ所に陳列し、一定の期間で販売する方法。商品の陳列は、寺社の境内や地元の有力者の敷地で行われた。「椀船」の流れを受けていることから、これらの商人は「椀屋さん」と呼ばれ、商品の販売には「月掛け売り」が行われた。

【月掛け売り】

従来の「節季払い」が進化した支払方法。10人単位に1組の講を組織し、1回の掛け金で10人の講員全員に品物を先渡しする「講買」と呼ばれる方法をとり、代金は集金人が月々回収した。徐々に形態を変え、「20回掛け」のものが登場する。これは、商品の代金を20等分し、半端と2回分を頭金として現金で貰い、後を18枚の手形で受け取る方法で、後の月賦百貨店の時代まで主流となる。