現在も続く越中富山の「配置売薬」

有名な「富山の薬売り」をクレジットの発祥とする人もいます。これは、富山藩の二代藩主前田正甫(まえだまさとし)が考案した「配置売薬」のシステムです。

正甫公は薬に造詣が深く自ら調合したほどですが、岡山藩医の万代常閑(まんだいじょうかん)を招いて、「反魂丹(はんごんたん)」という薬を作らせました。これが名薬であったことから、富山藩以外の地域の人々にもこの薬を利用してもらい、多くの人を助けようと「他領商売勝手」という政策をとりました。自分の国に限らず、どこにでも行って薬を売ってよいという政策です。

ここでとられたのが「配置売薬」、つまり幾つかの薬を置いておき、行商人が次回の訪問時に利用した薬の代金を受け取る方法です。

これは、「先用後利(せんようこうり)=先に用をなし、後に支払う」という一種のクレジットのシステムで、現在も続いています。

 

【富山の薬売り】

「置き薬」という独特の方法で、江戸時代から現在も続いている。行商人は薬の最初の訪問時に薬を置いておき、次回の訪問時に利用した代金を受け取る。これは「先用後利(せんようこうり)」という一種の信用取引だが、こん信用は「行商人の信用」「薬の信用」「利用者の信用」それぞれを意味するという。また、「後利」は行商に使う薬を入れた「行李」にかけられている。中心商品は前田正甫考案の「反魂丹」。明治になって「六神丸」がこれに代わる。