廃墟と窮乏の中から(ミシンと前払式割賦販売)

昭和20年8月、太平洋戦争は終結しましたが、戦後、深刻な食料危機と悪性のインフレが到来しました。食料の配給も遅れがちで、遠方の農村へ買出しに出掛けたり、穀類主体の雑炊をすすったりして飢えを凌ぐ日々が続き、人々は混乱と窮乏の中で生活をしなければなりませんでした。

終戦直後の服装は、男性は国民服か兵隊服、女性はモンペという姿でした。しかし、まもなく女性たちは残り布やはぎれなどの材料を利用して、思い思いに洋服をつくり始めます。こうした状況から「ミシン」が注目されるようになりました。いわゆる「焼けミシン」でも飛ぶように取引されたのです。このような中「ミシン産業」は、他の産業に先駆けて「平和産業」として再開します。

リッカーミシンは、昭和24年4月から本格的に「月掛予約・月賦」方式の販売を開始、昭和27年5月からブラザーミシン販売をはじめ、他のミシン販売会社も相次いで「月掛予約販売」に乗り出しました。