「ミシン」に始まるメーカー月販

一方、「椀船商法」の流れをくむ月賦販売とは別に、明治の後期から外資系のメーカーを中心に製造会社が直接行う月賦販売が始まります。

外資系のメーカーで最も早く月賦販売を行ったのはシンガーミシンで、明治34年のことです。同社は「着物の値段で洋服が作れる」という価格政策を月賦販売の基本に据えて、時代の波にも乗り販売を拡大していくことになります。

大正期には、日本楽器がピアノ・オルガンの月賦販売を始め、昭和初期になると、フォード、ゼネラルモータースといったアメリカの自動車の月賦販売がスタートします。

 

【メーカー月賦】

製造業者が直接月賦販売をすること。明治の終わりから昭和初期にかけて様々なメーカーが月賦販売を開始したことが発祥となる。当時のシンガーミシンの値段は足踏み式のものが60円で、月賦を用いると75円であった。先行して家庭に普及していったドイツミシンを頭金として積極的に下取りしたこともあって、大正期にはミシンの代名詞ともいわれるようになった。しかし、このように隆盛をきわめたシンガーミシンも、戦争の色が濃くなった昭和13年に日本市場を撤退する。