「お椀」が語る「販売信用」の起源

「モノ」が介在し、「モノ」の代金を信用によって立て替える取引の原型は、伊予(現在の愛媛県)にあるといわれています。

分化・文政年間(1804~1830年)、伊予の国桜井は農地の少ない天領で、日々の生活を営む為には、どうしても何かの副業をする必要に迫られていました。幸いなことに、桜井の地は前面に瀬戸内海を望み、人々は操船に技術に長けていました。そこで、他の地域に船を使って行商に出ることが考えられたのです。

最初のうちは、行商の地域は近隣に限られ、取り扱う商品も農具が中心でした。しかし、その後次第に活動範囲が広がり、瀬戸内海の沿岸はもちろん紀州(和歌山県)や九州へも足を伸ばし、扱う商品も陶器や漆器に変わりました。この行商に使われた舟は、陶器・漆器つまり「おわん」を扱うことから「椀舟(わんぶね)」と呼ばれます。

当時、陶器や漆器は大変高価な品物で、よほど豊かな家庭でなければ、代金を一度に支払うのは難しいことでした。そこで、とられたのが盆暮2回の「節季払い(せっきばらい)」という支払方式です。

商品の先取り、代金の後払いというクレジットの原型がここに誕生しました。

 

【椀舟(わんぶね)】

伊予の商人が行商に使った舟。「おわんぶね」とも呼ばれる。潮流と風を利用することにより、春の上り船で九州の唐津(佐賀県)で仕入れた陶器を中国・近畿の諸国に行商しながら紀州に至り、秋の下り船で紀州から仕入れた漆器を中国・九州地方に売り歩いた。名称は、主に取り扱った商品である陶器・漆器に由来する。最盛期には約300艘もの「椀舟」が、瀬戸内海を運行していたという。